3月21日 火曜 曇り

 泊まっているホテル・カイザーホフは、市の中心部から10数分、少し外れているせいで静かな立地だ。
国立オペラ座からは程近く、リストやワーグナーも公演の時に使っていたという。
 古いホテルだけど、改装したばかりで中はピカピカ。天井が高く、部屋もバスルームも広い。朝ご飯も美味しくて、実に快適。
 その朝食に、アニメ『トムとジェリー』に出てくるような、穴あきチーズがでていた。ネズミになった気分で食べてみたら、プラスチックで出来ているような味。本々こういう味なのか、包装の匂いが移ったのか・・・。
 食堂には親子のような男性の二人連れがいて、二人とも赤いセーターを身に付けているのも、目を引いた。ペアルックなのか。「養子縁組?」などと憶測する、下世話な我々であった。

瀕死でなく、変死

 疲れることは元気なうちに済ませておこう、ということで、今日は市内で美術見物の日。
 悪名高き(見るのが大変、という意味で)「美術史美術館(最近は博物館と表記するらしい)」に行く前に、隣の「造形美術アカデミー」を軽くこなそう・・・と思ったのが甘かった。

 駒崎さんの大好きな地獄絵の祭壇画「最後の審判byボッシュ」が目当てだったのだが、そこに至るまでに数々の部屋が行く手を遮っていたのだ。
 クラナッハの描く、浮世絵のような体型の女性に妙に親近感を抱いたり(あの長い胴のなかの内臓の配置が気になる。多分胃下垂でしょう)、脳天を矢が突き抜けている「聖セバスティアン」に、「絶対死んでる!」「これじゃ瀕死じゃなくて、変死だよ〜」と大爆笑したりしてるうち、すっかり時間と体力を消耗してしまった。 

 オーバーオールの学生(にしては老けてたけど)に囲まれたカフェで缶ジュースを買って、一休み。
 空き缶を捨てようとしたら、ゴミ箱は三つあった。一つにはピーペーとか書いてあって、紙、すなわち燃えるゴミだろうと見当をつけるが、後の二つの区別がつかない。

 「あなたの入れたいのは金のゴミ箱、銀のゴミ箱、それとも・・・(実際は全て白)」というフレーズが頭をよぎるが、ここは冷静に「中のゴミを見ればわかるじゃーん」と蓋を開ける。二つとも空っぽだった。
 興味津々の様子で眺めているオーバーオールの一人を睨み付けながら、ゴミ箱の上に缶を差し出すと、奴が頷いたので、缶を捨ててすばやく退散。
「間違ってても奴のせいだ、私は悪くない!」と誰にともなく言い訳してみる。

大きいことはいいことだ

美術史美術館外観 そして、本日のメインイベント「ウィーン美術史美術館」へ。
 隣の「人類史博物館」とは対になっていて、中庭にマリア・テレジアの像がある。ハプスグルグの威容を見せつける、荘重な建物だ。
 大きい。広い。ドアが重い。部屋がたくさんある。絵も掃いて捨てるほど(ひどい)ある。見ても見ても終わらない・・・。
←美術史美術館の外観

 その名にふさわしく、ヨーロッパ絵画の流れを一望にできるというか、時代・場所を問わず有名な画家の絵は一通り揃っているという、絵画のデパート状態。見たことも聞いたこともない人から、超有名人まで、まんべんない品揃えだ(って売り物じゃないけど)。
 どれも区別なく展示してるのは、すごい。平等主義というより、評価するのが面倒なだけなんじゃないだろうか、という気すらする。
 おかげでフェルメールの『画家の肖像』をうっかり通り過ぎてしまうところだった。 

 基本的には興味のあるところだけ、選びながら見ればいいのだろうけど、好みが3人ばらばらだったので、結局ほとんど通しで見る羽目になってしまう。

 ブリューゲルが好きな駒崎さんは、『バベルの塔』を見て「そうかここにあったのか」と言っていた。彼女のレクチャーを受けて『子供の遊び』の、おしっこをしてる子を捜す。
 ベラスケスのソラマメ王女(顔の長いスペイン王女。『ラス・メニーナス』とも言う)は3枚並んでて、成長記録のようだった。端っこの赤ちゃんの絵が一番可愛かったので「赤ん坊の頃のが可愛かったのねー」と言ってたら、それだけ違う子(しかも男の子)だった。ソラマメごめんよ。

美術史美術館内部 工芸品もかなりの量があって、ルネッサンス期の金細工師チェリーニの作ったというケバケバシイ塩壺は有名なものらしいが、日本人には理解しがたいセンスだった。他にも色々見たのに、脳の容量をオーバーしたのか、何を見たのか良く覚えてない。ああもったいない。
                      
  美術史美術館内部→

 お昼は館内のカフェでとった。
 大理石の柱が立つ、吹き抜けの空間はまさに宮殿。蝶ネクタイのウェイターもいい感じ〜。
 チキンとマッシュルームのポタージュスープは、卵立てを大きくしたような美しい足つきの器で供され、布に包まれたカイザーベーグルが添えられている。
 高級レストランのようで、すっかりいい気分。そんで、このポタージュが美味しかった〜〜!
 ウィーンの御飯は日本人向き、というのは新鮮な発見だった。例によって量が多いので、この二品でお腹一杯。

 立ち去りがたくて、食後にメランジェ(泡立て牛乳をたっぷり入れたコーヒー。ウィンナ・コーヒーのモデルと思われる)をゆっくり楽しむ。単に座ってたかっただけだったりしてね。
 しかし、大きくて分厚いカップにたっぷり液体を注がれると、重くて片手では持ち上げられない。ゲルマン人の筋力はこうして鍛えられているのだな。

 帰る道すがら、これも有名な建築家、フィッシャー・フォン・エアラッハの作であるという「カールス教会」を見物。
なんでもペストが流行ったとき生き残ったのを感謝したカール皇帝(何人もいるけど)が建てたらしい。
 祭壇は大変立体的な大理石のレリーフで、聖バーソロミューという人が、らせん状の雲に巻かれながらグルグル天に上っていくのだった。これでもか!という力強さに、思わず感心して眺める。

ウィーンの夜は更けて1

 ホテルに戻って一休み、の間もなく『ヨセフと不思議なテクニカラーのドリームコート』を見にライムント・シアターへ。けちって電車で行ったら、駅からの道に迷って遅刻してしまった。
 聖書の「ヤコブと12人の息子達」のストーリーなのだが、兄達は白人なのに、ヨセフだけアラブ系の役者がやっていて、すごい違和感。どうみても兄弟に見えないぞ。

 演出は以前ロンドンで見たのとは違って、アメリカン・ポップス・ヴァージョンだった。みんなジーンズ着てるし、兄貴の一人なんかスキンヘッドだ。 カナンの地でマクドナルド食べてるし・・・。
 個人的には前のクラシックなバージョンの方が好きだけど、これはこれで楽しかった。エジプトのファラオの役は、地元オーストリアの役者が勤めているらしく、大きな声援がとんでいる。
 団体バスで中学生かなんかが見に来ていたが、こんな夜遅い時間に学校行事をするのって、日本では考えられないんじゃなかろうか。

 11時ごろ帰ると、もう開いている店がほとんどなかったので、ホテルの前のパブ(なのかカフェなのか)に入る。
 おばちゃんが 「こんな時間なので、メニューの数が少ない」というので「何があるのー」と聞くと、立て板に水の勢いでメニューを読み上げてくれた。だめなのは数点だけのようなので、作れないものだけ教えてくれればいいのにー。何とか聞き取れたもののなかから、ラビオリとビールを注文した。まあまあかな。

【BACK】 【NEXT】